俺のことなら俺に訊け、俺通信です。 愛です。2001年から書き続け、2014年5月にサーバーを変更しました。 それ以前のテキストはこちら→http://s.maho.jp/homepage/6c55eadec2d1b3bf/

セルフカットするし一番新しいiPhoneも買う

長文の人の投稿に「短い、やり直し」とコメントしかけてやめる俺通信です。電話番号は変わっていません。

普段は塞ぎ込んで出来る限り人と会わないようにしているし、それは当然のことだし、あんま知らない人とわかりあうためだけの時間を作るくらいならサツマカワRPGのブログを音読したほうがいいし絶対その方が楽しい。だけどこのお正月はよく人と接した。直接だったり、じゃなかったり。


12月の半ばに急逝された会社の後輩Mの告別式、当時の勤務先や業界の人と随分久しぶりに会った。当たり前だけどみんな喪服で、下っ端PAだっ(中略)て慢性的に(中略)に仲良くしていたわけではない人ほど気さくに話しか(中略)数珠以外は100点、みたいな顔で話していたら突然S子の鞄が壊れ、Kの靴の踵がベリッと剥がれ、Hの乗った新幹線は停電し帰宅は夜中0時をまわっていたのもあり「まじ全部あいつのせい」とみんなで笑ったものの、エレベーターに挟まれて痣になった私の腕は誰かが力を込めて掴んだような形になっていてぶっちゃけゾッとした。やめろ、本当に、怖いから。怖すぎて誰にも言えなかった。


年末に改めてHとS子、死んだMの弔いを理由に新宿の居酒屋、終電までのむ。私が深酒をするとHは「ずっとお酒嫌いな人かと思ってた」と言う。S子は「こんなにちゃんと一緒にのんだの、初めてですよね」と何度か確認していた。幻の存在か何か。Hは私より年下であるが職場では先輩であった。「いま超金持ちだから」と言ってご馳走してくれた。
そして「めっちゃ貧乏だった時、たくさんごはん食べさせてくれてありがとう」と言ってくれた。むかしばなしの恩返しみたいだなと思ったが、黙ってヘラヘラしていた。


年明けの瞬間は実家にいた。MちゃんとDのLINE通話を聞きながら、テキストで会話に参加していた。年が明けたらフォーマルで写真を撮ろうと約束した。友達でいてくれと改めて言われたので、こちらも同じように伝えた。

 


年明けはAとYがケーキ片手にうちにきてくれて、8時間経った頃には「UNOって言ってない」の枕詞をいろいろ出し合って「目が綺麗だね、でもUNOって言わないんだね」という口説き文句が優勝していた。死にかけた話などし、「みんな生きててよかったね」となったハッピーデイであった。


翌週には上記のHとお子様と私の家族のみんなでディズニーランドへ行った。デイジーのファンサものすごかった。推せる。帰ってきて近所のお寿司屋さんへ行き歩いて帰宅、子供達を寝かせたあと朝の4時過ぎまでHとアルコールをのんだ。昔一緒に働いていた人とこんなにも仲良くできるのはラッキーなんだろうなと思う。Hはまた「本当にお酒飲めない人だと思っていた」と言った。事実、そこで働いていた時分はどんなにタダ酒のシーンに出くわしても口にしなかった。私が人前で飲酒するのは極めて稀であるからだ。理由はいろいろあったが、もともと機会飲酒程度だったので本当はお酒が好きというわけではなく、私は所謂「酒に逃げる」方の人間なんだと思う。その先でアル中の扉が開かれるのだ。やめろ、本当に、怖いから。怖すぎて一人になってお酒を小さい瓶に詰め替えたら翌日家人にのまれていた。


へーそういう感じなんだ、という年末年始。みなさまいかがお過ごしですか?(ここまで前置き)


嘘つくのって実は難しい。

思ったことをとりあえず言っちゃう人は法で裁かれてほしいと思っています。