愛のフィルターの話
積極的に己の脳を欺く俺通信です。面白いこと言う人より面白いことを書く人が好き。
掃除をしていると思い出の綻びみたいなのがチラホラ確認できて、あーあれ触っちゃったら全部引っ張り出して整理しないといけないなって後回しにして多分8年くらい経つ。美大の子たちと仲良くしていたから自分が通う大学には友達があまりいないと言いつつも5人くらいは仲良くなったなとか思い出したり。
思い出を整理することで頭の中の澱がすっきりするんじゃないかという希望的観測。全体の透明度があがるというか。
目が見えにくくなってから現実逃避がさらに上手になった。嫌な夢からさめたとき「夢でよかった」と思える大人になったし、今こそ向き合う時なんじゃないかと綻びに手をつけた。
---2002年の8月、私はMと石狩湾新港樽川ふ頭にいた。
(そこで初めてみたステージの上の人が20年経ってうちの子供たちと仲良く遊ぶ日が来るのはまた別のお話)
Mは、文書を書く仕事に就こうと初めて思わせてくれた人で、今は(こういう言い方はあまり好きではないけど)もっと上のステージでバリバリやってらっしゃる。
当時若かった私を、Mは面白がって時間をさいてくれた。
私はMの書く文章のファンだったので、ファンレターじみたラブレターを送りつけたところ、律儀に返事をくれた。
その中に書いてあった言葉が当時の私にグサグサ刺さったはずなのに、私は浮かれて大事なところを見落としていたのだなと今になって思う。
人から頂いた手紙の内容を漏洩するのは素敵とは言えない行為だが、とにかく嬉しかったのでここに一部をのせます。過ぎたことなのできっと笑って許してくれることでしょう。
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しかしあれだな。手書だと面白いことを書こう、という意志が生まれん。何故だろう。思考とのスピードの関係だろうな。面白いという要素のほとんどは落差なんだろうけど、文字だとその場差のスピード感が伝わらなんだ。だからセコイ繰り返しとか使っちゃうのだろうな。その点キミの文章は独特のグルーーーーーヴがあって良いね。文字でもメールでも携帯でも全部テンションがいい感じ。アッアッ、どうしよう……と相手を取り込んでしまうような勢いがある。艶がある。知識がある。ウラヤマシイなぁ、と思う。
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こんなに人に褒められたのはうまれて初めてだったと記憶している。
しかもこの段階で私はMと会ったことがなく、その後ライブハウスで初めて顔を見合わせたっていう人生屈指の青春エピソード。
中身しか見てほしくないと当時の私はどうして思っていたのだろう。
何かあったんだろうな、忘れたけど。
顔も見てないのに私のことがとにかく好きだと続いていた。当時の私はそこばかりに気を取られていた。
「うるさいなー、いま考えてるところ!」て言ってもいいんだって、教えてくれたなぁ。元気かなぁ。元気そうだなぁ(ナチュラルネトスト体質)。
今の自分に確実にプラスになっていること、考え、思い、その他いろんな人との思い出が麻袋の穴から飛び出す小豆みたいにザーザー止まらなくなっちゃって、これどうするかなぁ捨てるのも忍びないし。
皆さん昔の恋人との楽しい思い出ってどうしてますか?
今日の着地点はここでした。