俺のことなら俺に訊け、俺通信です。 愛です。2001年から書き続け、2014年5月にサーバーを変更しました。 それ以前のテキストはこちら→http://s.maho.jp/homepage/6c55eadec2d1b3bf/

お米くらいの重さ

事の成り行きをぼんやり見守る俺通信です。娘を膝にのせて俺通信を書く日がくるとは思わなんだ。レベルアップはいざしらず、確実にスキルアップしている。多分アビリティもあがっているのでしょう。必殺技は使わないけどさ。

子らをみた人たちの第一声がだいたい「小さい〜」であり、海外の人であればそれが「tiny〜」になるだけであった。とにかく赤ちゃんは小さい。生き物としてとても。大きいうさぎと同じくらい。そういうかわいい生き物。膝にのせると、のけぞって親の顔を確認して笑う。なんという穏やかで幸せな日々だろう。漠然と「かみさまにかんしゃ」するようになった。少子化とか言われているけれど、エルゴで赤子を抱えたおかあさんはたくさんみかけるし、NICUのベッドもあきがないときく。つい先週も、夫の古い友人がうちから300m離れた病院で子を産んだときき、会いに行った。そこでの私の第一声は、「小さい〜」だったのである。何度か繰り返すうちに「あ、これ私も言われてたな、今も言われてるけど、こっちのほうが小さいな」と気がつき、言うのをやめた。なんか変な気持ちになった。相手を「赤ちゃん」だと思っているからおかしな行動言動に及んで不快な思いをさせてしまうのではないかという不安が強い。授乳期の母親にいちいち「おっぱいはってますね」っていうようなものではなかろうか。

先日来客があった。若いバンドマンにしてはこぎれいな格好をする男性で、こどもが好きだという。非喫煙者だったため招いたのだ。きてすぐ手を洗うのはもちろんであったが、こともあろうか彼はその手を赤ん坊にしゃぶらせたのである。咄嗟には注意できず「おててなめたら、ばっちいよ」と赤ん坊にいうように諭したのだが、「手、洗いましたよ」と笑っている。これ、おかしいことだって思いませんか?

相手が私だとしましょうや。洗ったからといって、私の口に指、入れますか?そんな色っぽい関係でしたっけ?そういうことです。ましてや赤ん坊なんて初対面ですよ。赤ん坊の口に入るものは極力煮沸しているので私は「お前の手も煮沸してやろうか」くらいに腑が一瞬煮えたぎったんですけど、神経質すぎたかな?とも思いました。正解がわからない。

見覚えのある部屋(間取りは逆)

EDMとメタルどっちがいい?俺通信です。びびって声も出ない。

 

夜中にボロボロ涙を流しながら握り飯を頬張る私のからだは+++のエデマで真っ白に光っている。

「また魔法を使ってしまった」

 

バチが当たるようなこともたくさんしてきたし、後先考えず人を裏切ったこともある。ただひとつ言えるのは、いつかコンクリートに手をついて苦し紛れの嘘に嘔吐する日がきたとしても、きれいに洗って抱きしめてあげる。

「だからってそんな」

 

日が昇って沈んで積み上げてできたぬいぐるみの山に埋もれたまま眠った。新しい何かがこんなにも眩しいなんて、いや、ちょっと想像はしてたけど。

「明日から変更ってできますか?」

 

言葉の自給自足生活、現状に満足している場合はそのまま小躍りしてください。棚に上げっぱなしの気持ちはこの際忘れてあげますから。

「ごはんのおかわりをください」

 

ご他聞に漏れず優雅なひとときを過ごさせていただいております。座っているとものが集まってきますので今の私はかなりアレ。サッカーでいうところのインサイドキック。サッカーあんまり知らないけどさ。

「たちまち見事な灰に(ハイに)ってあんた落語じゃないんだから」

 

ええい下がれ下がれ(血圧)!無理が通って道理が引いて、薬を増やしてそれで済むならそうしましょうよセンセ。今月中に退院したいと毎月願っていた、切実な思いは懇願して仮決定。宝物を抱きしめたいんだって。

「すみませんお腹が痛いので帰ります」

 

 

透明化して納得

いきなり二児の母俺通信です。

どこまで書いたものかな、と思う。死にかけたからだ。

酔っぱらっている人が「酔っていない」と主張するように、私は朦朧とする意識の中で「ちょっと眠たいだけだから」というような発言をした気がする。実際にはどうだったか、いまはもうわかりません。

一度退院したものの、多胎妊娠であったこともあり産後の肥立ちが芳しくありませんでした。大出血をおこし一人再入院になった私は、親と主人に新生児の双子を託し、腹いっぱいにコアグラを抱えて何日も何日も天井をみつめて過ごしたのです。意識が飛びがちでからだじゅうひどく浮腫んでいてもなぜか漠然と、人間はそんな簡単に死なないだろうと高を括っていました。これが理由でのちのちひどい目にあうのですが、ベッドを血の海に染め続けて尚、「私は大丈夫、そんなことよりこどもたちにお乳を」と呟いていたときかされました。私は自力歩行し質問にも答えていましたが、この時Hbは3.5までさがっていました。輸血を受けながら、頭の中で爆音で鳴り響く幻聴と戯れていたのでした。思い出すとやはり怖いので、少しずつ書く事にします。

それは瞬く間に広がった

噛み締める俺通信です。

更新が滞っていたのは、妊婦健診で「明日から入院」と言われたから。

お腹は出て来ているがまだ29週でお産までずいぶんある。しかも主人は海外ツアーをまわりはじめたばかり。久しぶりの入院生活はおだやかにスタートしました。

 

私は妊娠中なぜか食べ物のアレルギー反応がまったく出なくなったのですが、医師には万全を期すべしとのことで入院食は禁大豆食になりました。これがまあ融通のきかぬもので、すべての「大豆」を抜くわけですから醤油はもちろん味噌や豆腐納豆なんかも提供できなくなって、私は大豆アレルギーではありますが醤油は平気なのでそれだけでもダメですかと言ったのですが、そういうわけにもいかないんですって。

しかたなく退院するまで真っ白い味気ないごはんに、工夫をして食べておりました。入院生活後半はずいぶんアレンジが上手になったものです。

私は妊娠5週から産む迄ずっと、悪阻に苦しみました。

いろんな症状がありますが、私の場合は、笹塚駅のホームであくびがとまらなくなって、いきなり首を絞められたような刺すような痛みを伴う胸焼け、喉がかわいて仕方がなくなり、おなかを少し締め付けているだけで嘔気、夜中に何度も尿意で目が覚め、そこから3週間ほどはとにかく食欲が増し、ある日から突然吐いて吐いて吐いて吐いて、胸焼けとたたかってまた吐いて、気持ち悪過ぎて幻覚とたたかって、頭痛で寝込んでまた吐いて…。

今書いていて、悪阻中みたいな顔になっていました。

そんな感じでしたので、食べられるものは限られていました。

1月〜3月はシーズンオフなのにスイカばかり食べていました。

あとはあんまり覚えていません。何を食べてもダメだった。大好きなものでも胸焼けがひどかった。全く吐かなかった日はトータル20日くらいでした。

 

吐いてばかりではいけないので、一生懸命麦茶を飲んでおりました。

因みに現在授乳中なので、美味しい美味しいと麦茶を飲むのであります。

時は来た

健やかに俺通信です。

こどもが産まれました。兄と妹、双子の赤ん坊ですので、正確にはこどもたちです。

私がいまこうして俺通信を更新するまで本当にいろいろありました。

かつてない「いろいろあった」を乗り越えて、結論から言うと「生きててよかったね」です。

 

いつか自分が読み返して微笑ましく思う日がくることを願って。

胎児が踊って月が出た

確かに怖い夢をみたよ俺通信です。そんな不安とはうらはらに血液検査の結果はつまらないほど健康だし、歯を食いしばるようなことも少なくなってきました。

夫には「万年思春期女」のレッテルをはられ自覚もしていたのですが、きっかけがあれば終焉を迎えることもわかっていました。レアケースなので、テキストにすることで見知らぬ誰か同じ境遇の人の不安がのぞけるかもしれない、なんてことさえ考えるように。それを書くべきが書かざるべきかそんなところで立ち止まっているのは、これが人間の生き死にに関わることだからです。新しい枕がふたつ。

手術でなんとかなること 入院せずにすむこと

あれ、さっきからずっとそこにいた?俺通信です。大人が軽々しく口にする「大丈夫」を、すんなり受け入れないことにしている。この世は案外いい加減なんだなと思う。一行で終わる日もある。