俺のことなら俺に訊け、俺通信です。 愛です。2001年から書き続け、2014年5月にサーバーを変更しました。 それ以前のテキストはこちら→http://s.maho.jp/homepage/6c55eadec2d1b3bf/

自由に弾むピッカピカ

空中を高速移動したりするアニメや映像で「あの状況では風も音もすごい絶対喋れなくない?」って本当はいつも思っている俺通信です。なんか背中痛い。

 

サグい、という言葉をよく見聞きする。見聞きするだけで自分では使いません。使い所がわからないというのもあるし見たことない柄のニットきてて「ははーんさてはあんたおしゃれだな?」って少しでも感じたらなんとなく黙ってしまう私にも非がある。

そして、人の思い切った行動やその発表は素直に「よかったね」と思えて良かった。ご主人の栄転で春から北海道ですって、とか、このたびおかげさまで産休ですみたいな話はみなおめでたいというか悪く言いたくない。悪く言う人がいることも知ってるしそれをダメとも思わない。ただ自分が一緒になって悪く言っているとは人に思われたくない。それってわがままですか。あんまり上手に言えない。上のお姉ちゃんがいるからかな?下の子も縄跳び上手だねー!みたいな気持ち。その時「前あや二重跳びが何回もできます」という自信に満ちた顔をしてますけど私は。昔からよく大人気ないと言われてきたけれど、こどもを子供扱いしすぎる人よりはいいんじゃないでしょうか。

 

天ぷらを食べ過ぎて何書こうとしたかまったく思い出せないままお腹の音をきいている。

枯れてきた部分をもぎ取るグリーンサム

両手で余るくらい私にも友達と呼べる人がいて滅多に会わないんですけどその内の一人に本音の七割くらい漏らしたら「ダメだよそれは心の病気だよ」と言われてちょっと面食らいました俺通信です。へらへら。

 

途中頻度は落ちながらも二十年近く俺通信を描き続けております。びっくり。多少攻撃的に書き記しておかないと読み返した時に落ち込んでしまうので気をつけていますが、具体的な悪口は残したくない。さてどうするかというと、なんだかふわふわした愚痴を書き連ねるのです。それを「昔の恋人が読んでいる設定で書いている」のが俺通信なんですよ忘れてましたか?

 

母親になったからといって根本そこまで変わるという事もなく、ただひたすら自分がポンコツになったなって自覚だけが強まっていく次第です。こどもを産んだことだけでなくその後のホルモンがどうのこうの、あと大量に出血した時に何かよくないことが起きたのではなかろうかと疑ってしまうほど人間が変わりました。今会っても、ピンとこないかもよ。

 

一昨年は台湾、去年はタイに行きました。そういう生活も変わっていません。みんな元気になーれ。

 

言葉でひっくり返せない

パスワードを忘れたり大好きな人が亡くなったり面倒臭い人に絡まれて縁を切ったりっていうよくあるっちゃあることなんかに振り回されてしばらく更新を怠っておりましたがみんなそろそろ俺通信の存在を本格的に忘れたのでは…と思っている俺通信です。

 

嫌だなーって思うことは相変わらず多くて「午前中のうちに止むって言ってたのに夕方まで降ってる雨」だったり「人差し指をひっくり返しながら喋る女の人」だったりと枚挙に暇はございません。アップデートしたらiPhoneの変換がアホになってて少しいらいらする。設定次第なんでしょうけど。

自動修正をオフにしました。このせいで誤字が発生してもそれは私の責任。機械のせいにしてたまるか。

 

こんにちは、さようなら。

まめに書きます。

 

軽めの筋トレをしながら会釈

闇雲に何かを探し続けつかみどころのない焦燥感に加えて博多華丸・大吉のネタを切り取ってレオパルドンがリミックスしたみたいな音楽がひっきりなしに流れているなんだか喧しい夢から覚めるとまだ午前5時で、入院中にも似た夢を見たなと思いつつお腹の中の違和感と戦い続けております俺通信です。


人生いろいろとは申しますが、母親になると同時にわたくしは「病弱なポンコツ」という生き物になり、それでもありがたいことに子らはこんなわたくしを、愛してくれているようであります。

からだがやられてしまっただけならまだしも、涙腺も随分と脆くなってしまって、テレビコマーシャルで新生児がオギャアと無音で泣くその絵面で泣いてしまう。直感的に、よかったね、と思ってしまう。なにがよかったのかわからないが、とにかくおめでとうと思う。

好きな友人のおなかに子が宿った。もう泣くしかない。よかったね、おめでとうと思う。無事に産まれてくるまで、産まれてきたとて、と心配は尽きないだろうけれど、それでもいつもみたいに余計な言葉が浮かばなくて、ただただ、よかったね、おめでとうね、こどもたちが大きくなって外に出られるようになったら遊ばせましょうねと、来春幼稚園に通う歳になった子らを両脇に抱えて思う。

よかったね、ありがとうね、かわいいね、書くだけで泣けてくるね、死ななくてよかったと思う。

入院中の血液検査の結果やレントゲンをみるとゾッとするが同時にいま生きていることを強く自覚する。

死ぬかもしれないと思った時に子らに冗談めかして「おかあさんが死んだらおとうさんの作るごはんをちゃんと食べてください」と言った。主人は「縁起でもないことをいうな」と怒ってくれたが、子らはそれをよく覚えていて、今になって突然「おかあさん死んじゃってもおとうさんのごはんちゃんと食べます」と言ってくる。

なんと返事したらよいか迷っていたが、最近は「あんまり死にたくないからがんばって生きます」とかえしております。

外気温は23度と表示、しかし体感温度30度近い。

こどもはあつい。幼稚園の見学なんていったらみんなびしょびしょに汗をかいて走っている。もちろんうるさい。あと嫌な咳をしているこどもが必ずいる。小児科勤務時代からずっと思っていることなんですけど、病児を連れまわすのはよくない。もうお薬も飲みきってほとんど治ってるから、とかは他所様には関係ないです。

「仕方ないじゃない!上の子は元気だし、誰かみててくれるわけでもないでしょ!」かもしれないが、まともな親はネットスーパーなんかに切り替えてスマートに対処しているようにみえます。

「幼稚園なんかママが?選ぶわけじゃん?パパも一応話には参加してくるけど、そうじゃないじゃん?あたしが!選びたいのって話じゃん!だから見学はとりあえずきますけど」みたいな話を居合わせたママ友とダラダラするならこの子はよ連れて帰りなはれと思いながらそんなこと絶対言えないから、我が子らのおままごとにくいこんでこようとする咳女児(顔はかわいらしいのに穴の空いたみすぼらしい服、親はこぎれいな服)の相手を私が渋々していたのであった(その後風邪っぽくなり逆恨み真っ最中)。

違う人の話だけど、お子さんが高熱を出して病院へ行き、待合室にて「えーあの子溶連菌感染症だって、こっちくんなよ!うつるだろ!と思ったらうちの子は溶連菌に加えておたふく風邪

でした~(涙)」みたいなの見かけるともうね、お前はブスのくせに他人のブスを批判する所謂ドブスと同じだぞって、言いたくなっちゃいます。


でも幼稚園の先生ってすごくて、こどもたちを毎日みているだろうに、わたくしの子達と接して「え~かわいい~たまらん~うちの幼稚園選んでほしい~一緒に毎日遊びたい~」みたいなこという。すごくない?そのモチベキープ。勤続7年とかでその感じ。

こどもが好きだから、という言葉に嘘が見えない。

たとえそれがビジネスだったとしても、頭が下がる思いです。

あとね「俺は大丈夫」という謎の自信を持って風疹の予防接種を受けないおじさんも1秒でもはやく家に帰れこどもや妊婦さんがたくさんいるところに来るんじゃないよ、と思っています。「コウノドリ」読んで号泣しながら猛省しろ。


久しぶりに俺通信を書きましたが、やはり愚痴しか出ないようです。あと夢の話。私は人の夢の話が大好きなんですけど、話があわなさそうな人は皆こぞって「夢の話とかする人どう反応したらいいかわかんないよねー」「わかる」みたいなこと言ってます。身奇麗にしているし、挨拶くらいはするけれど。すみわけ。剣呑。


メンヘラは字が汚い。我が強い人は字が奇麗で丁寧。そして美人は字が独特で大胆。付き合いやすいのはちまちまとした字だけど読みやすいソフト癖字の人です。このルールで人を見分けることがあります。すみわけ。


俺通信を書き始めた頃とまったく同じ気持ちなのは「音楽って素晴らしい」ということくらいです。

外付けHDDは2テラ

あんなに聴いたはずなのにちっとも思い出せない俺通信です。いっちょぶちかましてやっかみたいな気持ちになることがなくなってはや2年が過ぎようとしている。最初はそりゃ寂しかったりもしたが慣れたらどうということもない。ぼんやりテレビを見る。テレビは楽だ。一方的な愛に応えなくていい。ところがこれがインタラクティブ某になるとどうだ。たちどころに誰ぞ知らぬ人よりコメントがつき、あーだこーだどーのこーの。それが嫌でSNSやめましたとか、こどもじゃないんだから。「後輩が大きな声を出して自分のことを応援してくれないから部活辞めます」って。パパたちがいない間に友達を呼んでパーティーしてたらいつの間にか知らない人がいて家の中がめちゃくちゃ、私こんなつもりじゃなかったのに、みたいな。ティーン向けのハリウッド映画かよ。話がそれました。知らない人の見たこともない誤字や突飛な発想が、目につきやすくなっただけの話。とはいえ成人した子を持つおかあさんのプロフィールに「旦那さまと娘ちゃんとトイプードルのママでぇす」みたいなのはいまだに、なんというか胸焼けしている時に鳩尾に掌底を喰らうような気持ちになる。そういう人は比較的いい生活をしていて、「家族みんな揃って食事を食べれるのは幸せなことでーす!」とか言っちゃう。食えんやつだと思ってしまう。おかしな日本語そのものにモヤモヤすることの方が多い。私の文章もいい加減だしガチャガチャしているしきっと誤字脱字もあるだろうし人のこと言えないんですけどね。服装にも言えること。でもそこはあーだこーだ言うところではない。野暮ってやつ。野暮だと自覚してください。今日も私は野暮な母から押し付けられた絶妙なアンサンブルや訪問着に身を包むのである。いつか着物デビューする日もくるだろう。こどもの入学式とか。ああ、頭が痛い。自分好みのパリッとした服を買う前に母親からすべて押し付けられるこの感じは一体いつまで続くのだろうか。娘にはあーだこーだ言わないようにしよう。嫌われたく、ないから。

原則 喜ぶ時は「わあい」

開き直るな馬鹿野郎俺通信です。赤ん坊相手の毎日、吉田戦車は「言葉を煮る」と表現したがまさにその通りだと思います。ただ、煮た言葉をいずれかたく戻さねばならない。離乳食について調べていたら不思議な言葉にたどり着いた。
「レンシレンジ」
なんでもあるこのご時世、ヘルシア的なそんな名前の特殊電子レンジがあるのか、くらいに思っていたがどうやら「洗濯機→センタッキ」のようなことらしい。実際そんなこと言ってる人見たことないわよ、と思いつつTwitterにて調べてみるといくつも出てきて驚いた。そういう人はだいたい煙を出したり爆発させてたりするよレンシレンジとやらを。いろんな人がいるよねと聞き流すには少し危険というか、自分の子供がTwitterでレンシレンジって書いていたら嫌だなと思う。だって馬鹿みたいなんだもの。間違えて覚えていて、でも可愛いからとか、言いやすいから使っていて本当は電子レンジって知ってたらいいけど「は?wレンシレンジはレンシレンジだしw」みたいなのは本当に嫌だ。こわい、その強気。
それとはまた少し違う話だが、もう一つ変な言葉がある。
「サイズアウト」
どうやら小さくなったベビー服こども服のことや、着られなくなっちゃった状態そのものをさす言葉だそうです。成る程言いたいことはわかりますけれども。まだ大きくてぶかぶかで着られない服もそのルールで言うと同じく「サイズアウト」になってしまうのでは。見聞きするたび「あれ?」ってなります。この手の話って言いだしたらきりがなくて、例えば都心部の「ベッドタウン」もそもそも吉原とかラブホ街と言った意味だし、日本人が使うあくまで和製英語、便利なカタカナ。そう割り切ればいいのでしょう。バッグをバック、ベッドをベットって言う人もいる。私の母がそうです。オッズは何倍ですか。お産で長期入院中、妹が使う消化器外科論文を和訳していたら、仕事ができる看護師さんが「わー、英語やってるんですか?すごいですね、私英語ぜんぜんわかんなくって」と言った。自称英語わかんない人しか「英語やってる」って言わないなって、そんな新鮮な発見。テレビでは女芸人が真面目な顔して「はんごうすいはん」と言っていた多分飯盒炊爨のことだろう。こうして昔の頑固爺さんのような私のような婆は絶滅しないと気づき「私のまわりには実際いなかったな」。書き言葉で「きずく」(築かない)「やりずらい」信頼関係を築く云々の話、気付かないって丁寧に変換しちゃうから間違えていることに気付きづらい。一度指摘したことがあったが「そういう人ってさ、やりづらいって書いたほうがいいって言いたいの?」だって。ばかやろう!ほうがいいとかねーよそれしかねーんだよその年齢の積み重ねは段ボールウエハースかよ「何々しずらい」が市民権得てますけどみたいな顔してんじゃねーよ「遣る」+「辛い」だよ漢字で変換できない場合は自分が間違ってるって気付けよお前の理論だと「すらい」になるんだよなんだよファミリーストーンかよお前みたいな奴が大手を振って間違え続けるから「それもあってることにしましょうか」ってなるんだけどあれ今気付いたけどそれってすごく優しくない?iPhoneも「きずく」で四つ目くらいには「気付く」って出ちゃう。みんな、優しいね。その優しさがただの甘やかしにみえてしまう歪んだ心しか持っていないけれど。

「はずみで」 と彼女は言った

同じ空間の人たちの会話が、いわゆる高校の昼休みみたいに俺通信です。歩いて行ける隣町の素敵なイタリア料理店がリニューアルオープン、バギーを押す子連れの我らに優しくしてくださるのでたまにお世話になる。ここに関してはママ友会(全然知らないたまたま居合わせた人たち)の逸話があるのでそれはまた別の機会に。トマトクリームのスパゲティとタコやらほたてやらえびやらのピッツァをいただいておりましたら、近くの席にて「海外旅行に行くんだけど詳細どうする?会議」の真っ最中。女性二人。多分30代。「一人で行くんじゃないんだからケチケチしてないでさぁ」みたいな感じでわりとずっとイライラっていうかあんまり楽しそうじゃなくて顔も全然笑ってなくて、言われた側は「あんまり難易度上げるとさぁ…」とか言ってて、こんな感じで実際行って楽しめる?って余計な心配。帰り道で、下唇に太めのピアスがぶっ刺さったかわいこちゃんがうちの双子にニコォ!と微笑みかけたかと思えば、カタカナがたくさん書かれた冊子を小脇に抱えたお兄さんが、なんだか似たようなルックスのお兄さん(両者ともに素足に下駄)に「目覚めよ」みたいな事を言っていた。ちょっとしたアレがいっぱいいすぎて、むしろ全然大丈夫ですみたいな気持ちに。何でもかんでも便利になりすぎて、不便さを感じながら「なんか充実してた」とか言いたいから、ここに住んでいます。「え、待って!!やばない?バズらせよ〜!!」とか言う人はあんまり得意ではないのですが、あちらからは「え、うちらって絡みなかったですよね?え?あれ?」みたいな変な日本語で変な距離の縮め方されそうになるから困る。おうちに、帰って、泣いてろ。