俺のことなら俺に訊け、俺通信です。 愛です。2001年から書き続け、2014年5月にサーバーを変更しました。 それ以前のテキストはこちら→http://s.maho.jp/homepage/6c55eadec2d1b3bf/

buon divertimentoだよ〜

嘘よ俺通信です。雨続くね。

 

ピザまたはピッツァってみなさんご存知だと思います。召し上がったことがある方も多いでしょう。私はアレルギーだのなんだのと、あとアンチソーシャルなのが祟りあまり口にしたことがないまま大人になりました。食べたことがないとな(中略)に気になり店舗をのぞいてみるも、アメリカということもありでっかいのが三種類くらいぺろっとあって「だっ すらぃすぉ ぴつぁ ぷりーず」と言わなければならないところを横着して「だわん」と言っていた奴がめちゃでかい箱に入れて渡されて腹を抱えて笑った。あ、また話がそれた。

 

架空の友達の話とかうまい。だってそんな人いないもの。でもなんでこんなにスラスラ出てくると思う?それはね、私の中では現実だったからだよ。

 

という四方山話もおいといて、結局何が言いたいかって気になった人だけ念飛ばしてねー。

混在

最高の思い出の5分後に最低の思い出挟まれて当時の気持ちさえも今やいい思い出俺通信です。私の好きなテレビに出るその人は、私の家の私のキッチンであのあれを作ってくれた、どこそこでバイトしていたとか、メジャーレーベルにいた頃のあのあれはどうでそのこれはああだと詳かに教えてくれて、その後も何度かうちに来た、でもそれさえもいい思い出なのであります。「連絡先一覧」にのっている君の名前も消したと思っていたけどまだ残っていた。君の昔の恋人は、新しい恋人とうまくいっている動画を昨日アップしていたし、同時にそのバンドに所属していた人の寝顔がどうのの話はもういま書くまで忘れていたよね。

 

私は結局その後も詩人になることもなく、大事にテキストを書いてお金をもらったりしていました。いまも、その鋭い刃みたいな言葉を使ってみたくなる時があります。

 

君がこれを読んでいるの、私知っているんだからね。

「父兄」に紛れて笑顔をキープ

話しかけてくんなよ俺通信です。友達じゃねーんだから。

 

心の中の27歳の私が、今現在の私に「ねえ」と声をかけてくる時、そちらの方を見もせず「わかってるよ」とぶっきらぼうに返事をする。あまり知らない保護者に話しかけられた時なんか「まじでこの人なんで私に話しかけてくんだろ…」と思っている。面白い話をする以外興味がないし、そもそも必要なことはすべて教育機関から個々にお達しがある。私や家族のことを興味があるのか知らないが教えてもらって当たり前だみたいな顔できいてくる。ぼんやりごまかしてもしっかりめにきいてくる。まじで、なんなんだ、そこからゲタゲタ笑いが止まらないような話ができんのかよおめーはよーと27歳がパンタロンをバサバサさせそいつを蹴り出すのだ。そうなってくると目の前の人の言葉なんかまったく頭に入ってこなくて、情緒不安定な人みたいにその場でバッて走って逃げたくなる。「まじでいらいらする」みたいな言葉がぽろっとこぼれたらどうしようと少しヒヤヒヤする。私の場合はあちらのお子様が奇声を発しながら走って行ったのでどうにか逃げ切れましたけど。

 

目の前の仕事を一生懸命やる、というのがいいらしいとSNSで知りました。ついたあだながアンチソーシャル。

 

 

パソコンはいいの使ってらっしゃる

根暗猫背の長髪で妙に前向きな浮かばれない文学青年の幽霊に心底惚れている俺通信です。そこまでくるとやたら魅力的にみえてくる。申し分の無い眼鏡の奥には眼光鋭く、唇は薄い。新宿渋谷界隈出身者多し。または九州。

 

無駄という無駄を省いた人生に切り替えてはや数年、なんだか骨ごと入れ替わってそう。「無駄こそ文化」だったのにね。

 

これくらい期間があいたらもう「はじめまして」でいいんじゃない?

印象操作ガール 踵から着地して骨折の巻

秘密は守る俺通信です。コロナのアレで完璧にトドメを刺されたライブハウスから「来月いっぱいで」って連絡が来たのを境に私なりに「娯楽とは」と考えました。詳しくは書きませんけど。

 

楽しかったあの日々がまるでSFみたいな扱いになっている。お金とか時間とか教育とか身の置き方とかいろいろ考えながら再診のため通院。傘をさしていただけなのに、親指の付け根がいたみしっかりめのアザ。脆弱すぎない?とひとりごつ(変換の最初が「一人5つ」で呆れながら違うことを考えはじめる)私は、一人だとさらに余計なことを考えがち。良くも悪くも大量に残された記憶だのその時の気持ちだのにとらわれてしまう時、私は「料理番組」をみることにしている。土井義晴先生、栗原はるみ先生、特に浜内千波先生の話し方がとてもキャッチーで良い。キャベツを手でちぎる時は「バリのバリコで、食べよい大きさにちぎってくださいませね!」、鶏肉を焼けば「カリのカリコで、レンジを上手に使って時短でございますわよ〜」とくる。つい三週間ほど前にTwitterのアカウントを作られたようで早速フォロー。

「やるジャンわ、た、し、という感じです!」

の一文でめっちゃ元気出た。

10分前まで考え込んでいた「あの時こうしていれば…なんであの時あんなこと言ったんだろ…これは私が悪い…あれは絶対あいつが悪い…」等がすっ飛んで「油淋鶏作って食べよ〜!」ってなるから良い。

 

一緒に行ったライブハウスがなくなっても、心の中の「なんであの時」はなくならない。

 

 

ママ友にもらった五香粉

 

つまんないことにすぐ気を取られる俺通信です。スマホを持ったまま横着して何かやって、そのあとアプリ消す画面になって何が消えてたかわからないあのもやもやした感じは年一度程度におさまってまいりました。

 

家をたてる時(といってもスケルトンリノベなので大したことはしていませんが)に震災真っ只中だったこともありいろいろ不具合や手抜きが重なって最終的に天然のふりをして「多少の遅れは仕方ないですしそんなお気になさらずともいいんですよ…て、あら!?あれは、カーテンレール!?なんでカーテンレールなんですか?(しっかり笑いながら)まさか、いや、本当、ねえ、ウッドブラインドでいいんです、ええ、高いのじゃなくて結構なんですから」と目を見て言えた自分を「よくやった」と言って抱きしめてやりたい。ちょっと歯を食いしばっていたかもしれない。なんでこんなこと急に思い出したんだろ〜とデキシの往年の名曲を歌いながら痛み止めの投薬時間を引き算してそっと目を閉じる。突然の激痛と浮腫、よくなってきたかと思えばめまいが再発する。ふざけてんのかってくらいずっと体調が悪いけど、所謂自粛生活中は一度も美容室に行ってないっていやそもそも去年の2月から行ってなかった。あんまり私には関係ない話だったみたい。どうせならインナーのもはや毛先だけになったブリーチにオリーブグリーンかショッキングピンクでも入れたらよかった。サイキック戦犯扱いされたのはちょっと理不尽だと思いました。油淋鶏食べたい。

パスポートサイズの心の扉

本当に数えきれない俺通信です。家族旅行以外で海外渡航は、十数年前にボランティア団体の通訳としてフィリピンに行ったのが初めてだった。「やらない善よりやる偽善」以前の問題なんですけど当時の私みたいなヒラヒラくるくるパー人間には「恵まれないこどもたちのために〜」みたいな正義感など微塵もなくて、もちろん全部人にやらされていましたし自分の意思であれば今頃私はもっと自分を誇らしく思う大人になっていたに違いありません。煙草も吸っていましたし。私と似たような境遇の若者が集められ、寄付やらなんやらのあれこれと市長を囲んで懇親会のどうのこうののそういうやつ。そこで食べたアドボとジョリビーとマンゴーとプランテンが美味しかった。

食いしん坊の私はそれ以来取り憑かれたようにいろんな国に渡航し、あれこれ食べた。

ロンドンのフィッシュアンドチップス、ボストンのクラブ、オーストラリアのラムチョップにベルギーのワッフルそれにあまり有名ではないかもしれないけれどオランダの苺とベルギーのフリッツは最高だった。

そのあと音楽の関係でアメリカの東の方によく行くようになり、後に親戚になる人も住んでいたのでそこから急にアメリカにかぶれ、所謂ダイナーで提供される魚と海老のフライのようなものをのせたフレンチフライドと豪快なサラダにハマって一週間続けて通った。ティーボーンステーキもアーティチョークもチョコレートファッジブラウニーもアメリカで覚えた。

なんでも美味しくいただく私ですが、テキサスのtexmexは響かなかった。すすめてくれる友達はみんな「絶対美味しいから!」と言っておごってくれるんだけど(この時必ず缶ビールも一緒に渡してくれる)、ハマるだろ?このためだけにまたオースティンに来たくなるだろ?!とにじり寄られるたびに心の中の土井義晴先生が「旬のお野菜炊いたんと、何かひとつ好きなもんお味噌汁にして、ほんで土鍋でごはん炊いたらいいんですよ、ご馳走ですよ、ものすご健康になりますよ」と騒ぎだしたものだ。

それ以来、美味しい食べ物を探しにアジアに行く癖がついた。仕事でマカオに行くついでに香港や台湾などをわざと経由し、名物と言われるものからローカルお菓子まで食べに食べた。

 

ちょっと長くなっちゃったので続きは明日。